『最長片道切符の旅』を、旅行日と同じ日に読んで思いに耽る ー第6日(10月18日)ー

今朝は、全身が痛くて起きられませんでした。
夕方、ようやく回復してきたので、この記事を書いています。

私は、旅行先での体調不良を経験したことはあまりないのですが、
帰宅後に発熱することは、何度かありました。

『最長片道切符の旅』も、北海道最後となる6日目。
文面を見る限り、
著者の宮脇さんの体調は良好なようです。

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このブログ記事は、
著者が旅した日と同じ日に一章ずつ読み進め、
感じたことや気づいたことをまとめていく企画です。
それでは、最長片道切符の終着:
鹿児島県枕崎駅に向けて「出発進行!!」。

『最長片道切符の旅』(宮脇俊三 著)の簡単な説明は、こちらから。

【第6日】(昭和53年10月18日)
小樽―倶知安(くっちゃん)―伊達紋別(だてもんべつ)―函館 ・・・ 青森―好摩(こうま)

小樽駅舎

<小樽駅舎 (2024年)>

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 町はさびれても駅は小さくならない。
 貿易会社の支社などが小樽を見捨てて札幌に移っても、小樽駅の建物は昔のままに立派だ。建物ばかりではない。ホームの鉄骨屋根の堂々たる張出し具合はどうだ。一級駅の風格を備えている。

(新潮文庫版 P.98より抜粋)

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『最長片道切符の旅』の発表から45年以上がたった2024年当時でも、
その姿が、目の前にありました。
「変わらないもの、変わりゆくもの。」
そんな言葉が、私の中をよぎりました。

私が小樽を訪問したのは、2回。
そのどちらとも、小雨でした。
雨にけぶるしっとりとした街の風景が、
とても心地よかったことを覚えています。
次に訪れるときには、どんな天気が私を迎えてくれるのでしょうか。

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 13時41分、大沼に停車したので私は下車し、13時48分発の鈍行函館行きに乗換えた。北海道の旅の終りを鈍行列車の車窓から見届けたいような気持がしたからである。大沼駅の跨線橋(こせんきょう)から眺めた駒ケ岳は美しかった。いまや北海道へ渡る旅客の九割以上が飛行機を利用するようになり、函館本線の車窓からこの山を眺める人はすくなくなってしまったが、形のいいことでは駒ケ岳が一番だな、と私は思った。
 函館着14時34分。連絡船は15時05分に出帆する。乗船名簿に記入し、ハッチに並んだ乗組員に慇懃(いんぎん)に迎えられて船内に入る。銅鑼(どら)が鳴ると埠頭(ふとう)から「蛍の光」が流れ出した。

(新潮文庫版 P.107より抜粋)

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この部分を読むと、胸にじんと来るものを感じます。
大沼・駒ケ岳の景色、青函連絡船の様子…。
私が高校一年生で初めての北海道旅行をした、
その当時の風景に重なるからです。

青森出航から3時間半。
青函連絡船が函館港に近づき、街の様子が徐々に見えてくると、
「日本とは違う! ロシアに来てしまったのか?」と異国情緒を強く感じ、
先輩にそのことを興奮気味に伝えると苦笑された思い出。

旅行の帰途、札幌から函館に向かう
夜行急行「すずらん」の固いボックスシートに座り、
大沼から駒ケ岳を目に焼き付けておこうと、
朝靄に包まれた風景を一生懸命に見ていたこと。

駒ケ岳

<車窓からの駒ケ岳の風景 (2024年)>

『最長片道切符の旅』6日目の旅行記は、
私をセンチメンタルにさせるような記述が多かったようです。

『最長片道切符の旅』は、一度ここで休憩となります。
再開後の第7日目は、10月28日となります。

〔第6日目の味読(乗車)は、ここまで。〕

投稿者プロフィール

末広 康三
末広 康三
 <すえひろ・やすみつ>
 現役の公立小学校教師。神奈川県生まれ。これまで2,000人以上を直接指導。
 40歳代後半、家庭では自身の子どもの不登校を経験し、仕事では「うつ」を発症。職場復帰後、大塚あやこ氏が提唱する「ビリーフリセット心理学®」と出会い、関心のあった「心のしくみ」についての学びを深める。
 現在、小学校勤務と並行して、『心理の視点を取り入れて<問題>を俯瞰し、見つめ直してみる』という手法を教育・家庭・仕事に生かすべく、現場での実践や学習会・講演会などを行っている。
 ・ビリーフリセット®シニアアドバイザー
 ・企業研修ファシリテーター
  (一般社団法人ビリーフリセット®協会 認定)

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